長男の笑顔と共に歩んで、四回目の冬を迎えた北九州市郊外の住宅地にいたとき、湾岸戦争があった。子育てと、職場復帰への願いに毎日の時間を費やしていたころに冷戦崩壊。長男高校時代に、911。あれから8年。
あのとき、ある方の「命はみんなつながっていますよ」のお言葉に命の救いを得た。
嫌いな人はどんな人ですか。の問いに,罪人をつくりあげる人と答えた自ら。
その話をある方にしたら、「命はみんな繋がっていますよ」のことを、
「それが間違っている」と指摘された。
その方は、私の傲慢を射抜かれたおつもりであったかもしれないが、私には、静かな反抗心と共によく理解できないことであった。しかし、今思うに、
このことだけはここに、どうしても記しておきたい。
9.11以降度重なるテロ。そして、地域紛争。その憎しみと、暴力の連鎖に翻弄されながら、
私の希望を射抜いたあの言葉と向き合わないわけにはいかなくなった。
「みんな繋がっている」というのは、世界中のことを言っているのではなく、ある共同体の中でのことだろう。広く言えば、各共同体と共同体が、また、なんらかの因果関係で繋がっていたりする。また、ある個人と、向こうの共同体が繋がっていたり、ある共同体が、あっちのグループと繋がっていたりする。そして、現在のインターネット社会では、地球の裏側の人と繋がることさえできる。が、しかし、世界中で起きている現象が、全て影響しあっているのかということになると、宗教的、宇宙科学的には、そういえるかもしれないが、人々の意識の中では、かなり無理のある見解ということになると思う。実際、家族の世話をしながら、明日の一日を祈る命に、地球の裏側の命を思う余裕はないだろう。私にはとても大変なことだ。
ここで火事が起きることと、地球の裏側で人が死ぬことは、全く関係がない。また、家族の世話をしながら、地球の裏側の命を思う余裕はないだろう。温暖化に直面した今の地球は、環境では運命共同体となった。経済では、どうなのか。人々の意識の中ではどうなのか。実際繋がっていないと思っているから、対立が生まれ、悲惨な事件、事故がおきたり、とんでもないところからの,とび火が飛んできたりする。憎しみの連鎖もそうだ。
「正義の名の下の暴力が一番いけない」とも言ったが、それは暴動、テロリズムとて、正義の名の下の暴力には、違いない。
間違っているのは、「命はみんな繋がっていますよ」ではなく、その真理に甘えて、一つの理念の為に、尊い命を、殺傷、自殺、する偏った、そして、恐ろしい考え方だと思う。
真理というものは、全世界、全宇宙共通で、全ての命を尊ぶということなのではないか。
世の中には、不正、理不尽の暴挙のまかり通る社会もあるだろう。しかし、短気を起こす前に、逃げることを考えて欲しい。仲間と繋がることを考えて欲しい。あなた達は愛され、幸せに生きる権利があるのだから。
金融危機が、証明した行き過ぎた経済至上主義は、今、社会主義と民主主義、社会体制の是非の議論を呼び、新自由主義に続く希望の経済体制が問われているわけですが、それは、今の私にははっきりこれと答えは見えません。でも、アメリカで、オバマ政権が経済において、金融業会の圧力に押されていると聞けば、それは困ったことと思うし、GMはつぶせ、という方も居られたのですから。
私は、心ある自由主義経済がいいな、というのが正直なところですが、経済のこと世界情勢のことについて集中的に学んだ経験も、携わった経験もないので、間違ったグローバル化の弊害に、悲鳴を上げている方達があると聞けば、なんとかしなければいけないと思います。心ある自由経済と言いましたが、少なくとも今回の金融危機の誘引になったマネーの暴走は、人心の醜さを露呈する結果になったわけです。ウォール街の、若者が今回の主役だったとすれば、それを指導できなかった知の巨匠達は、或いは、社会の中で生き、それを見つめていた私達は、何をしていたのか。戦争でも、金融危機でも、ひとたびことが起これば、犠牲になるのは、いつも社会の善良な弱者です。
新自由主義の終焉を迎え、ポスト新自由主義経済は何なのか良心的経済学を導いてくださる先生方に委ねることしかできないのですが、経済評論家の内橋先生が、バブル崩壊後、共生経済というお話をされていたことが、心に残っています。 東大名誉教授の、宇沢先生とお話されていました。原丈人さんの言われた物造り経済を、ワークシェアリング、ワークライフバランスの実現、友愛民主を、
内橋先生と宇沢先生は何と言われるのでしょうか。
冷戦が終わり、自由主義経済が、勝利を収め、社会主義経済が内部崩壊した。
勝利を収めた、それは本当のことなのでしょうか・・・
今回の世界危機で、わかったように、強いものが正しい、勝ったものが正しい、それって本当ですか?
バブル崩壊のときに思いました。これからは、自由競争と、社会主義が、ミックスされていくんだなと。
規制排除が正しいなんて、人間がいかに醜い生き物であるかを証明する為の試みだったわけですね。
十戒は何故あるのか、憲法は何故あるのか、何の為にあるのか、私達には考え続け、伝え続ける使命が、架せられている。
まだ自由主義経済を続けるなら、きちんとしたルール作りと、生存権の確保を。
命の平等、全ての命の社会保障が確立されて、初めて自由経済の意味が出てくる。
社会保障のない自由経済なんて、本当に恐ろしい社会なのではないか・・・
共生経済に移行するときが来ていますか?
優しさの経済学を。人らしい経済学を。
もう少し経済の本を読んで見ます。
世界には、様々な歴史を背景に様々な暮らし方をしている人々がいる。私は、民主主義の国に育ち、民主主義を大切に思っている。でも、民主主義を強制はできない。王国でも、ブータンのように、国民の幸福度が高い国もある。民主主義でも、格差を生み、そこに心無い人権無視の問題を露呈している国もある。要は、一人一人の心の教育、なのかも知れない。優しさを繫ぎあうこと、思いやりの心だけが、私達の平和を導くのかもしれない。世界の非核化をリードする国として、胸を張って子供たちを導いていきたい。
ただ、自己中心的な民主主義ではなく、皆で助け合って生きていく民主主義を愛する、私としては、かの国に民主主義を望み、学び、そう生きるために行動している友が生まれていると聞くのは、とても嬉しい。ただし、その民主主義が、真に豊かで、命に優しい本物の民主主義であって欲しい。本当の変革は、うちより自然と心に満つるもの、お互い、剣をさやに収め、静かに変革のときを待つことはできないものか。
命を大切にしつつ。
一日も早く、拉致被害者の救出を望みます。

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